『イニシエーション・ラブ』乾くるみ ③

改めましてこんにちは(*- -)(*_ _)

さつきです。

 

前回の文章を読んでいかに自分の書いた文章が拙いものだったのかを痛感しました。

いやほんとにひどい。。。

人様に見せていいレベルをはるかに下回る出来で心が痛みました(笑) ひぇ~~。

これからはもう少し読みやすい文章を心掛けたいと思いますのでご容赦ください…。

 

 

 さて、長いことこの物語について語ってきましたがそれも今回で最後です。

今回のテーマはタイトル回収!

 

 

イニシエーション・ラブ

 

作品のタイトルにもなっているこの言葉は本編で美弥子が言っていたものです。

 

イニシエーション:通過儀礼

 

物語終盤。美弥子は鈴木に大学時代に付き合っていた天童の話をします。美弥子にとって、それは初めての恋愛であり初めての彼氏でした。自分はこの人以外の男性を好きにはならない。この人と結婚してこの人と子どもを産んで、この人と一生を添い遂げるんだ。なんて初心なことを思っていたそうです。初めて付き合った時ってそんな感じですよね。恋人が自分の全てで、その人さえいれば自分は幸せで…。当然のようにそんなことを思ってしまうんですよね。美弥子に言わせれば無知だっただけだそうですが、そのくらい好きになれたら素敵ですよね。

 

しかし肝心の天童の方はそんな美弥子の想いとは裏腹に、恋愛感情というものを一切抱かなかったようです。美弥子はそんな天童のことを「本気になってだれかを愛したことが無いんじゃないか」と語っていました。

 自分のことを好きになってくれない恋人。美弥子は彼と別れることを選択しました。

 

イニシエーションはその際の天童の言葉です。

「お前にとって俺はイニシエーションだったんだ」

 

美弥子は自分の隣を離れ、次のステップに進みます。天童はそれを受けて自分との交際は通過儀礼だったんだなと言いたかったのでしょうか。

 

個人的には天童も美弥子のことを好いてはいたのかなと思いました。というかそう思いたい。彼らの直接的な描写はほぼないので、勝手に想像しちゃっていいですよね(笑)

天童にとって美弥子は、恋愛的な好意はないが好感はあって、しかも自分に好意を寄せてくれる人間だったのでしょう。都合のいいと言えばそうですが、恐らく交際を望んだのは美弥子の方なので仕方ありませんよね。

そんな天童も自分へ向けられた好意を捨てられるのは虚しいようで、最後の言葉を残したのではないでしょうか。

なんていうか皮肉ですね。相手を大切にしなかった天童もしっかりダメージは負っているんですもん。加えて美弥子にとっては初彼氏。そりゃ上手く立ち回るなんて無理ですよ。

 

前回の話を混ぜるなら、天童は自分の中で変化を起こして美弥子を大切にしない「選択」をして、美弥子は初恋を捨てて自分を大切にしてくれる相手を探すことを「選択」した。といったところでしょうか。

その結果美弥子は次の彼氏に情緒不安定でDV男の辰也を選んだのは失敗だったと思いますが、それも美弥子の選択です。

 

 

イニシエーション・ラブ。世の中の何人が今の交際は通過儀礼と感じているのでしょうか。もっというと、世の中の何人が「この人とは一生を添い遂げることは無い」と思って交際しているのでしょうか。

 

きっと告白する瞬間は、大学時代の美弥子のように純粋な気持ちなんだと思います。

でも付き合ってみて「やっぱり無理」と思うことも少なくありません。僕としては、それでも誠実にお付き合いしようという辰也の考えよりは、変化を受け入れる美弥子の考えの方があっているみたいです。

実際問題、一生を添い遂げる相手は「恋人」ではなく「ずっと一緒にいられた人」なんですよね。その人が恋人だった時に一生を添い遂げるんですよ。恋人だからという理由でずっと一緒にいる必要はないんです。無理だったら別れればいい。それだけの話です。

 

 

なんか身も蓋もないことを言ってしまいましたね。

このまま話を終わらせるのは忍びないので少し注釈を添えると、無理だと思った相手でも、それでも一緒にいたいならそうすればいいんです。単純でしょう?

自分の価値観・感情に融通を利かせて相手の「無理」な価値観に寄り添う。その努力をする。それだけです。

僕なら自分だけが寄り添うのはフェアじゃないので相手にも変化を求めますがね。自分が必至こいて相手が何も感じないなんて馬鹿馬鹿しいじゃないですか。逆に相手に変化を求めるからには自分も変化をする。その努力を惜しまない。って「選択」をするでしょうね。

その結果、それでも無理なら仕方ありません。頑張っても無理だった。それならもう無理です。その結論を出すのが自分でも相手でも構いません。悲しくならないわけありませんがね。

 

お互い、合わなかったならどうしようもないんです。

自分に合う誰かはその人以外にいて、その人に合う誰かは自分以外だったんだと諦めるしかないんですよ。

 

初めからイニシエーション・ラブのつもりで恋愛してる人なんていません。少なくとも僕はそうです。付き合って、その中で学んで最悪別れたら、それがイニシエーション・ラブになるのかもしれないということなんだと思います。

天童ももちろん美弥子がそんなつもりで付き合ったなんて思っていなかったでしょう。もう別れる。それは決定事項だと悟ったからあんなことを言ったんでしょうね。

 

 

最後に

 

この物語について沢山のことを考えました。

過去の恋愛のこと未来の恋愛のこと、そして今の恋愛のこと。

僕の中には様々な選択肢があって、それを選ぶのは他でもない自分自身。

自分が変化する以上「絶対」なんてものはなく、確かなものは「今」しかない。

鈴木も言っていたこの言葉は僕を少しだけ不安にさせました。

僕は一体これからどんな選択をするのでしょうか。

どんな恋愛をするのでしょうか。

結論は、まだ出さないでおきます。

だってそれすらも「イニシエーション」なんですから。

 

 

『イニシエーション・ラブ』乾くるみ ②

前回に引き続きイニシエーション・ラブのお話をしていきます。

 

どうもどうもこんにちは!

さつきです(*- -)(*_ _)ペコリ

 

前回は辰也って誰やねんってとこで終わりましたね。

順当に考えれば鈴木が二人いて、partAとBで主観が入れ替わっていたことになるのですが、僕は早々にその可能性を捨てちゃいました。不覚…

 

というのも、この作品は映画化もされているらしく、メタ的に考えて前半と後半で主人公が入れ替わってるのは謎にも何にもならないだろうと予想したからなんですよね。

後半に主人公の顔を映さなければ可能でしょうが、それは作品的にどうなの?と考えてそれは無いかと思ってしまったんですよね。

 

結果的に鈴木は二人でした

partAは鈴木夕樹、partBは鈴木達也で、二つの物語が同時に進行していたというオチです。あとがきにあたるヒントを読んで気づきました。ミステリは謎を自分で解決する瞬間が本当に快感ですよね。ちょっとしたクイズなんかよりもずっと前振りが長いくせに、たった一つの謎を解いた瞬間にすべての辻褄が合う感覚は他ではなかなか味わえないものです。

 

鈴木が二人いることでわかることで決定的に変わることがあります。

それはマユが二股をしていたことです。辰也から夕樹に鞍替えしてたんですね。

でも辰也の方もマユから美弥子に乗り換えていたのでどっこいどっこいと言えばどっこいどっこいなんでしょうか。

 

個人的な作品の感想ですが、謎自体はとても面白かったです。めちゃめちゃ楽しませていただきました。ただストーリー上で実際起きたことといえば、DV彼氏に限界を迎えて浮気する女と、刺激と癒しを求めて都合のいい女を選んで今の彼女を捨てた男がいましたというだけで、もう少し展開があってもよかったのかなと思います。普段から汚れた恋愛ものを主食にしてる分、僕には薄味に思えました。いや、めちゃめちゃ面白かったんですよ?

謎を解く前と後では本当にまったく違う解釈が生まれるのは斬新ですし、要所要所にちりばめられた何気ないフレーズも二回目に生きるものが多く、技巧の細かさに圧倒されました。

 

さんざんっぱら脱線しまくりましたが、物語の紹介はこんなところでしょうか。

 

 

さーてこっからが本番!!!(嘘やろ)

僕がこの本を読んで思った私事を大爆発させる会です。

今までの話と感覚的に違うのは、話の比率が物語>私事だったのが物語<私事になる点です。

今回は色々構成ミスりましたが、僕のブログはむしろこっちをメインに据えるつもりなので、悪しからず。

 

 

「一週目の鈴木、まんま僕じゃねぇですか」

 

冒頭の数ページからずっと思っていたことがありまして、それはこの鈴木の性格がそのまんま僕と重なることなんですよ。正確にはちょい前の僕。まぁその辺の細かいことは置いといて…。およそミステリの主人公は痛い目をみるというのにその男が自分そっくりな価値観考え方で生きていることには、ん~なんていうか複雑でした。当然感情移入しやすいでしょうし嬉しいんですけど、いや死んだりしたら僕はどんな気持ちでそれを見ていればいいんだという恐怖を終始抱きながら読む羽目になりました。あと僕って客観視したらこんなやつなのか?という不安もありましたね(笑)

だから鈴木の言動にはいちいち反応してしまいまして、それをここでまとめて発散しようと思います!批判多め!!

 

鈴木は全体的に理屈っぽいんですよね。あとネガティブ。それから細かい!女性にめんどくさいって言われるやつ!そんなことはないといいですね。肯定的に捉えれば真面目で誠実で、そのあたりは鈴木自身もそうあろうと意識しているようです。

 

 

 

自分がどんな奴なのかは自分の選択による

 

当たり前のようなことを言います。自分がどんな奴なのか、自分の性格や性分はどういったものなのかは捉え方によって当然異なります。それは承知の上でのお話です。

鈴木はとても慎重な性格で、普段から物事を理屈や道理、義理や責務で考える人間です。常識や普通、一般なんかに正しさを見出すタイプの人種です。本当に期待していることはがっかりすることを恐れて自主的に期待値を下げたりします。加えて彼は常に最悪のパターンを考えるようで、確かにこれは懸命な判断といえばそうなんですが、正直つまらない奴だとも思います。ブーメランです。因みに、これは僕が高校生のころ先生にぽろっと聞いただけの話なのですが、こういった考え方はミニマックス法といってれっきとしたゲーム理論の考え方らしいんですよ。先ほど彼のことを懸命だといったのはその話を思い出したからです。しかし、理屈屋の鈴木でも当然いつでも論理的なわけではありません。感情的な部分もありますし、時と場合によって言い分が変わります。

 

 

鈴木だけでなく、僕たち人間には少なからずこういった「不確定性」があるものですよね。いくら理屈や常識で動く人間でも、イレギュラーや不確定要素を絶対に捨てられないのが人の性です。個人的には抗っても無駄、といった方がピンときます。いくら自分はこういう奴だと思っていても、いつでもどこでもその通りということはあるません。

 

 

あくまで僕の感覚ですからね?(笑) 

 

 

 して、なんでまたこんな話をしたかというと、つまり人間には「融通」というものがあるわけです。「天命」によって大まかな性格の方向性は決められてしまいます。しかしその根幹以外は融通を持っています。勉強嫌いな子が勉強を好きになったり、趣味が変わったりは誰でもしますよね。ゲームが好きな人間がいたとして、その人がご飯とお風呂と睡眠以外の時間何日も永遠にゲームをしているわけではないでしょう。人と接するのが嫌いな人にも友達はいるはずです。

 

 先ほども話した通り、散々物事を疑ってかかる鈴木もそうなんですよ。あの男は数ページ前までは引くほど慎重にマユと接していた癖に、マユと仲良くなりかけるともうころっと警戒心を失ってしまうんです。いや別にそれが悪いって訳じゃないんですがね。女性を知らないが故の頭のめでたさなのかなぁと思うのは僕が人間不信だからなんでしょうか(^^;  

僕ならマユのムーブを実際に受けたとしてもあくまで友達として線引きをしてしまいそうなものです。基本的に女性は怖いので。しかし鈴木は僕と違ってマユに恋をすることを「選んだ」。彼女が自分に気があると判断して彼女に心を許す「選択をした」。疑り深い鈴木がマユにだけ心を開き自分のポリシーに融通を利かせたのです。当然下心ありきの選択なのでそれは自分のためだったようですが、それはまぁ問題ではありません。

 

 

先ほど、僕と鈴木が似ている話をしましたが、僕らの違いはおそらくこの選択の差にあります。そしてそれは意識一つで変えられるものです。改めて言いますがこれは完全に僕個人の感覚なんですがね。僕個人が自分の感情をどう扱うのか普段から意識している方なので、こんなことを思うんでしょうね。感情を優先するのか、理性を優先するのかも個人的にはコントロール下にあるものだと思います。「本能に逆らえない」という状態は「理性を手放す」選択をしたと、僕には映るわけです。

 

 

というか、他人から見てもそう映るんじゃないでしょうか。

例えば、団体で全員参加の飲み会や会議があったとして、それに参加「できない」人間がいたとします。何か事情があるのかもしれませんし、気持ち的に行きたくないのかもしれません。しかし、どちらにせよそれは他人からしたらわかりようがないことで、わかってくれなんてのは無理な話です。他人からすれば、参加しない「選択をした」という評価になることはどうしようもありません。というか当たり前。「事情があるから参加できなくても仕方ない」と思ってくれるなんて都合のいいことも期待できませんしね。

 

他人からの印象の話をするなら、自分の言い分や大義名分をあれこれ用意したり論理武装したりして「僕はわるくありませんよね???」って態度をとるなら、これは僕がそうしたくて決めたことですっていった方がよっぽどマシだと思うんですよ。開き直るのもどうなの?って思われるかもしれないですけどね。

 

相手にとって、どういう自分でいたいのかは自分の選択できまる。自分がどんな奴なのかは自分の選択によるというのはそういうことです。誰にでも平等に接する必要はありませんが、仲のいい友人や近しい人、良好な関係を築いていきたい相手には多少なりともそういった配慮があってもいいのかもしれません。

天命によって性格の根幹は決められたとしても、全く自分の振る舞いや考え方が変えられない訳ではありません。どういった考え方をするのか、どういった習慣をつくるのか、どういった態度で相手と接するのかは「選択」する余地があります。僕らは融通が利く中で選択をしながら生きているのです。

そのうえで「自分はこういう奴だから仕方ない」というのは、「あなたに寄り添わない」という「選択」をしたということであり、それがその人が自主的に決めたことになります。もし、その相手のことを意識するのなら「自分はこういう性格だから、完全に自分を曲げるのは無理だけどここまでは融通を利かせるよ」という言葉がでるはずです。

 

 

なんだか最近相手にとって自分がどんな奴なのかを強く意識する機会が多くなっていたので、自分の考えを整理して身の振り方を考えたかったのでこんなことを長々と書き殴ったわけです。

しかしまぁ、さすがにごちゃごちゃしすぎでしたね(笑)

ごめんなさい(。-人-。) 

 

本当に長くなったので今回はこの辺で失礼します。

お付き合いどうもありがとうございました!

 

さつきでした!!

小説「イニシエーション・ラブ」乾くるみ まんまと二回読まされた男のひとりごと① ※ネタバレ注意

どうもどうもこんにちは(#^^#)

さつきです。

 

こんかいはミステリ好きの友人に勧めてもらった名作「イニシエーション・ラブ」を読んだ感想をお話していこうと思います。

 

もともとミステリは大好きで、僕が初めてミステリと出会ったのは小学校の時、丸坊主時代(中二まで坊主頭でした)の頃でした。「IQ探偵ムー」皆さんきっとどこかで見たことがあること思います。主人公の女の子ムーがなんともミステリアスな雰囲気を纏った美少女で、当時クラスの女の子達の中でよく話題になっていました。「ムーちゃんみたいになりたいよね~!!↑↑」なんて言って盛り上がっていたのを覚えています。僕は僕で「ミステリが読みたい」というより「知的にみんなを導く美少女を見たい」と思って読んでた節があって、小学生なんて大体そんなもんですよね(笑) 単純というか素直というか、その辺は未だに変わっていないので僕もまだまだ子どもってことなんですかね。

余談が続きましたが、ともかく「IQ探偵ムー」かきっかけでミステリが好きになったことは事実なので、僕にとっては思い出の作品です。それから「告白」「高校入試」の湊かなえ先生や、「和菓子のアン」「青空の卵」の坂木司先生を固定で読むようになって今に至ります。

 

今回は友人に勧めてもらった小説を読んでみたわけですが、普段人に勧められたものはあんまり見ないんですよんね。自分の好みは自分が一番わかってますし。

でも例外として特に仲のいい人や仲良くしたい人の好きなものはちょっと無理してでも共有したいと思うのは現金なんでしょうかね(^^;

今日びコロナウイルス君が頑張りすぎてしまって暇な時間が増えてきましたよね。僕もその例にもれず時間を持て余しています。そこで丁度いい機会なので誰かに勧められた本を読むのもいいと思った訳です。

 

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話は戻ってイニシエーション・ラブについて

 

 

この作品は「Jの神話」でデビューを果たしたミステリ作家、乾くるみによるタロットシリーズ「6番・恋人」として書き上げたものだそうです。本の表紙にも右下に小さくタロットの絵がのっていました。本編と関係ないわけないので6番の意味をざっくりまとめておきましょう。

 

正位置

・恋の成就、意中の相手はあなたのもの

・結婚のチャンス

・復縁の成功

あなたの恋は実ります。「裸体」は感情に素直になることを表しており、論理武装をして相手と向き合わなかったりしなければ、関係は良い方向へ進むでしょう。

 

 逆位置

・失恋、保身に走って関係がうまくいかない

・価値観が違いすぎたりしてうまくいかない

・浮気の暗示

相手の気持ちが離れており、繋ぎとめるには自分の態度を変えることが必要になります。また、自分自身に迷いがあり相手に不信感や疑いをもっているのではないですか。決断は時間をかけて冷静さを心掛けてください。

 

こんなところでしょうか。

僕もタロットはよくわかっていないので間違いがあったらごめんなさい。

恋愛関係の芯をつく言葉がいくつかあってドキリとしました(笑)

 

 あらすじ

と言っておきながら好き勝手しゃべるので長くなると思いますがご了承ください。

 

本作はsideAとsideBに分かれており、最後の最後に大どんでん返しが待っているという構成です。最後の謎を解いたその時、物語は全く違う顔を見せてきます。

背表紙に「必ず二回読みたくなる」と紹介されていた通り、僕も二回読ませていただきました。

 

sideA

 本作品の主人公こと「鈴木」は人数合わせで呼ばれた合コンでヒロインのマユと出会います。

代打で参加したソロって女性からしたらなんとなく正規メンバーより信用できそうなのかなって思いましたがどうなんでしょう。

最初は自分に気のありそうな振る舞いを見せるマユに疑念を向けていた鈴木ですが、マユに電話番号を教えられたことがきっかけで彼女に心を開き惹かれていきます。それから二人は合コンのメンバーにはばれないようにこっそりと会うようになり、徐々に異性としてのステップを進めます。たっくん(鈴木夕樹を「たき」と読んだ渾名)、マユちゃん呼びのデレデレっぷりは糖分過多になるかと思いました。付き合い始めてからも二人の想いは変わらず、ラストはクリスマスイブを華やかに彩って幕を閉じます。

 

sideAは基本的に純愛ストーリーが順当に展開していっただけだなぁという印象でした。ほんとうに王道の恋愛小説のようで、ミステリであることを念頭に置いて読んでいる者にとっては逆に警戒心を煽られるパートでした。

 

 ただパートを区切る章のタイトルが80年代のヒット曲で恋を歌った曲だったことから、純粋に恋愛ものも好きだったんだろうな~と思いました。恋愛ものを書くの自体は初めてだったみたいですがね。

ちなみにこれらの曲、先ほど80年代のものだと言いましたが物語の舞台も同様に80年代であることも、遊び心といいますかこだわりといいますか、そういった作品への思いを感じさせてくれます。

全部聴きました。歌詞・メロディーどっちをとっても「木綿のハンカチーフ」が一番好きでした。どの曲も歌詞が物語とリンクしていて聴いていると「この歌詞はマユのことだな」なんて気づきがあって面白いです。タイトルを曲名にするとこんな楽しみも生まれるんですね。

 

 

sideB

sideBは時が巡り「鈴木」が社会人になり地元静岡にマユを残して上京するところから始まります。新しい環境に慣れず悪戦苦闘する鈴木ですが、そこで第二のヒロイン美弥子と出会います。幼児体形で幼い顔立ちのマユとは正反対で抜群のボディラインと知性を感じる綺麗な印象の彼女は、鈴木を気に入り猛アピールします。

なんていうか、田舎の舞台に幼児体形のヒロインが出てきた時点で、都会住みの色気抜群の女が浮気相手になるのはド定番の展開ですよね。

しかし彼女もちの鈴木は美弥子の美貌に揺らぎながらも頑なに一線を引き続け、絶対に落とされない男と絶対に落とす女のホコタテ対決が始まります。さらっと告白されたりもしたのですが、そこはしっかり断ります。しかし彼女がいることは話さなかったあたり都会美女への未練を感じます。この女の上手いところはその後も友達感覚で飲みに誘ったり連れ出したりしちゃうとこなんですよね。同僚としてでいいとか言われちゃうと、相手次第では乗せられちゃいますよ。そんなこんなでだらだら付き合ってる内に、鈴木の中の優先度がマユから美弥子に移り変わっていきます。いやほんとに策士というか、見てる側からすればしてやられたなという気持ちでした。でもまぁ、ストレスに蝕まれ心身ともに弱っている人間には癒しが必要なもので、その役割は田舎にいるマユには難しかったのでしょう。週一で長い距離運転して会いに行くのは肉体的にも金銭的一苦労ですし、単純に都合の悪い女になりかけていたんですかね。気持ちだけでは恋愛はうまくいかないものです。目の前に容姿端麗・頭脳明晰で自分のことを絶対的に好いてくれる都合のいい女がいれば弱っている男は流されるんじゃないでしょうか。それに比例してマユの扱いがぞんざいになっていきます。

決定的にマユを捨てるきっかけをつくったのがマユの妊娠です。後はもうマユと向き合うのがしんどくなってぐちゃぐちゃぽいって具合に捨てちゃいます。

もともと仕事で余裕をなくしていて、マユには結構きつくあたるようになっていたのでそうなるのは当たり前といえば当たり前だったと思います。忙しくしてる人って怖いですよね。心に余裕が無いと「自分には仕事が課せられているんだから多少雑に扱っても悪くないでしょ。」と論理武装して結局散々な扱いになって破局という話はよく聞きます。

 

 

余談ですが、このような余裕の無い大人を批判するお話でミヒャエル・エンデの「モモ」という作品があります。仕事にとらわれ時間と心に余裕を失った大人達が、どれほど恐ろしい人間になってしまうのかを描いたものです。(ミヒャエル・エンデが伝えたいことはその先なのですが省略します)

タスクが多くて余裕がなくなるのは仕方ありません。別にそれを「お前の処理能力が低いのが悪いんだろ。」と正論で殴るつもりもありません。正論の良いところは「正しいこと」ですが、正しいだけの正論に意味はありません。論理的に正しいことに安心したり、正しい自分に酔ったりしたいのであれば別ですがね。その結果恋人や家族にあたるのはいい迷惑です。自分の能力が低いのは仕方ない(向上心はあっていいですが)と受け入れた上で、その上で大事にしたい人間を大事にする方法を模索するほうが賢明だと思っています。能力を磨くのはその後です。

 諸説ありですがね。

 

 

結局鈴木は美弥子のものになり二人は交際を始めます。

物語のラスト、美弥子の実家でお家デートにしゃれこむ二人。両親への挨拶を済まて美弥子の自室へ。親がいる背徳感と緊張感を楽しむ刺激的なペッティング、このあたりも地味めなマユとの対比のように思います。ふと、マユとの思い出をフラッシュバックさせる鈴木、愛着があった相手を捨てたことは鈴木にとってはダメージのあることだったのでしょうね。

その様子を不審に思った美弥子の一言「……何考えてるの、辰也?」

 

辰也って誰やねんという謎を残して、物語は幕を閉じます。

辰也って誰やねん。

 

 

 長くなったので今回は終わりますね。

次回はことの真相から始まります。

ではではまた~(@^^)/~~~

初投稿だし自分勝手に自分語りします

どうもこんにちは、さつきです。

 

高校からの友人の影響を受けて僕もブログを始めてみました。

(三日坊主になりませんように…)

 

初投稿ですしだらだらと自分語りでもさせて頂こうかなと思います。

 

ただテーマくらいは決めておかないと脈絡の無い話を無限に展開してしまいそうなので

先に話の方向性だけ定めておきます。

 

『自分に合った生き方』

 

テーマこれです!

色々考えましたが今話したいことを考えたらこうなっちゃいました。

 

 

最近コロナウイルス君のせいでめっきり外に出なくなってしまいました。

お店もしまっちゃってますし大学にもいけないしで困りますよね。

退屈ったらないですよ。

 

でも悪いことばかりでもなく、普段より長い時間趣味に走ったり、

普段は手を付けない類の本を読んでみたりと僕は結構この生活を楽しんでいます。

最近では高校同期と夜通し電話するのが一番の楽しみなんですよね。

 

ありがたいことに僕には結構な個性をもち合わせた面白い友人が沢山いまして、

これがまた話していて全く飽きないんです。

自分と全く違う価値観や生き方の人と話すのって楽しくないですか。

 

将来のことをしっかり見据えて必要な準備を着々と進めている人、

自分磨きにいそしんでいる人、

人とガンガン絡んで沢山の人とあっという間に仲良くなってしまう人 etc.

 

僕は基本的に理屈っぽくて悲観的で障子紙メンタルなのでそういった人に囲まれると、

 

「あの人みたいに生きれればな…」

 

なんてことをだらだらと考えてしまいます。

 

そのくせ思ってない事はやるのも言うのも御免こうむりたいので、

「がんばって自分をかえるぞ!」なんてことはまず絶対に考えないわけです。

端的に言うと感情に逆らうのが嫌なんですよね。

その原因もはっきりくっきり分かっていまして…

 

 

天命は変えられない

 

「生まれ」です。

小さなころから強い制限のもと育ってきました。

大学も含めて両親の決定です。

まぁそれは良くて、ここで重要なことは

「抑圧されてきたこと」「子という立場上それに逆らえなかったこと」

 

別に重い話をしようってんじゃありませんからね(笑)

 

ただ「生まれ」は変えられない、ということです。

そして性格はその「生まれ」に大きく影響されます。

 

他にも変えられないものってありますよね。

今ではお金でどうにかなることもありますが「性別」もその一つです。

 

このような『天命』には人間は逆らいようがありません。

当然僕もそこに逆らうつもりはありませんし。

 

もし天命やそれに付随して形成される性格の根幹に逆らう努力をするなら、

それらを受け入れてそれとどう付き合うかを考えたほうが賢明とさえ思います。

 

発明品なんかで例えるともっと伝わるでしょうか。

発明家によって生まれた発明品に本来、善悪は無く、

それを人がどう使うかによってその性質が変わるみたいなものです。

 

ここでこれまでの話を批判的に読み返してみると、

 

惹かれる生き方はあるが自分の根幹を揺るがすつもりはない。

などというなんとも我儘なセリフが出てきてしまいました。

 

ただこのセリフを我儘たらしめているのは

「惹かれる生き方があるなら価値観を全てリセットして意識改革して当然」

という僕の中に潜む完璧主義による思い込みによるものなんですよね。

(書いてて気づいた)

 

天命には逆らわないが融通を利かすくらいは人として当然したいものです。

 

要するに無理ない範囲で(気持ちが許す範囲で)必要な分だけ相手に寄り添えば、

もしくは理想に準じた振る舞いをするくらいの気軽さで十分というだけの

話だったんです。

 

完璧主義の落とし穴ですね。注意したい。

 

 

いい加減しめます

結局終始くだらない話をだらだらとしてしまった感が否めない駄文になってしまいました。

お付き合いどうもです。

 

 「理想的な生き方を求める姿勢」は美徳ですが、

その結果無理をしたり感情を殺してしまうのは馬鹿のすることです。

病んでしまったらどうするんだ。

 

だからつまり、自分の感情の許容範囲を正しく守ることを意識して

自分の歩みを進めてみるのが『自分に合った生き方』なんだという言葉を残して

締めとしたいと思います。

 

改めてこんな能書きにお付き合いいただきありがとうございました。